悲しい事を見なければならない立ち位置です
2012年03月23日
戸籍謄本を確認しての指摘がされても、それを記憶に無いというホームレスの方がおられます。でも、泣いていました。40年以上前に何があったのかを尋ねる気持ちは、私には到底出てきません。永い野宿の末に偶然私たちと出会って、生活保護を受けてアパートで暮らせることが出来ると知り、ホッとしたのですが。
生活保護申請における「扶養義務者」の確認が残酷なものであることを目の当たりにして、ケースワーカーの仕事は自らの中の「情」を失う仕事なのだと思いました。問い詰め追い詰めるのを止める様に横から口をはさんだのですが、業務命令が優先するのでしょうか。そのケースワーカーはこれまでの印象から、分別配慮のある人だと思っていました。今でも悪い印象は持っていません。
私のボランティアは、時には悲しい場面に遭遇しなければなりませ。
生活保護申請における「扶養義務者」の確認が残酷なものであることを目の当たりにして、ケースワーカーの仕事は自らの中の「情」を失う仕事なのだと思いました。問い詰め追い詰めるのを止める様に横から口をはさんだのですが、業務命令が優先するのでしょうか。そのケースワーカーはこれまでの印象から、分別配慮のある人だと思っていました。今でも悪い印象は持っていません。
私のボランティアは、時には悲しい場面に遭遇しなければなりませ。
Posted by 谷本 at 17:53│Comments(0)
│<た>日々徒然
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